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それはきっと太陽のせい

 カンカン照りの太陽がジリジリと肌に色を付ける中、額から垂れる汗を拭ってもまたすぐに汗が噴き出す状態がもう何時間も続いていた。暑い、とにかく暑い。
 野球のユニホームって傍から見るとどう映るんだろうか。まぁ、コレを見て涼しそうだね、なんて言うヤツは早々にいないだろう。そして着てみてわかるのは予想以上に蒸すという事。グラウンドの外周が5周目に入ったところでもうパンツにまで汗が染み込んで気持ち悪かった。
 田島がすぐに脱ぎたがるのもよくわかる。しかし田島はもう少し場所をわきまえるべきなんだろう。傍から見ていてハラハラするのも仕方がない。
 はぁ…はぁっ…、9週目に入ると誰からともなく荒い呼吸が全体に膨れ上がり、「あと1週…!」と重い腕を振り上げ10週目に臨む。

「ラストー!はい、ダッシュ…!!」

 花井の掛け声と同時にナイン全員がここぞとばかりに残しておいた気力を腕にのせ、我先にと全力で駆け抜ける。今までキレイに固まっていた集団が一瞬でバラけ、あとはもう短距離走の勝負だった。

「よっしゃ!いっちばーん!!」
「くそ!また負けた…っ!」

 勝負を制したのは田島。僅差で泉がグラウンドに入ってき、続いて栄口、花井、阿部、…そして最後に西広が入ったところで各自その場にバタバタと倒れ込んだ。「少し休んだらキャッチボール始めるよー!」とベンチからモモカンの容赦ない言葉に、水谷と栄口が「ぅげぇ…」と嗚咽のような悲鳴を漏らした。

「も、ダメ、まじ死ぬって」
「花井、水 くれ…水」
「ベンチまで行く気力がねェよ…」

 花井らが倒れている場所からベンチまでの距離はほんの5メートル、言ってしまえば目と鼻の先。それすらも動けないでいる彼らを余所に、阿部は花井達から少し離れた場所に立って三橋の姿を探していた。阿部も入ってきた時はすっかり息が上がっていたが栄口達のようには倒れず、普通は歩きながら呼吸を整えダウンするもんだろ、と地を這い蹲る仲間を一瞥してから今の行動に移った。
 ぐるりとグラウンドを見渡すと、やっとの事で起き上がりベンチに向かう花井、巣山、沖、西広にきっと邪魔だと言われているんだろう、泉、栄口、水谷がブーイングしていた。目的の三橋はというとグラウンド入り口の脇に立つ木でできた木陰にぐったりとしていたが、まだ余力が有り余っている田島になんだか急かされているようだった。

「みはしー」 
 
 田島といるからあとにしよう、なんて慎ましやかな行動は生憎、阿部には持ち合わせていないため、遠慮なしに三橋に向かって声をかけた。
 その三橋はユニホームの上半分のボタンを開け風を送り込み、生温かくてもないよりはましだとゆるやかな風を感じながらゆっくりと息を吸い、少しためてから吐く。繰り返していくと呼吸が整い、籠もっていた熱も治まり肩の力が抜けた。すっかり気を抜いていたところに田島がなんの予兆もなく手をひくものだから体勢を崩し、地面に顔から突っ伏してしまった。

「う、お…!ど、なに、田島君?」
「地面!冷たくて気持ちよくね?」
「あ、ほんと だ」

 「だろー!」と地面に這い蹲る田島につられ、寝そべる三橋に阿部の声が届いた。他に気をとられていたら逃していてもおかしくはない阿部の声を三橋は絶対に聞き逃さない。低くよく通る声質なのもあるが、それよりもスルーしてしまったあとほうが怖いから阿部の声に即座に反応する態勢ができてしまっていた。

「ア ベくん…!」
 
 三橋が体を上げキョロキョロ見渡すとすぐに視界に入った阿部が手招きをしていた。ここからだと表情は見えないがさっきの声のトーンから怒られるわけではなさそうだと三橋は胸を撫で下ろす。まだ寝そべっている田島に「オレ、行ってく るよ」と言い残し、三橋は阿部に向かって駆けていった。

「なんかさー。いつものお手といい、三橋って犬みたいじゃない?」
「んじゃ阿部はその飼い主だな。甲斐甲斐しく世話してるだけあって三橋は逆らわねェもんな。恐怖政治だけど」
「うは、言えてるぅ!」

 三橋は名前を呼ばれても本当に自分が呼ばれているのかわからなくてしばらく迷う。それなのに阿部に呼ばれ、迷う事なく駆け寄っていく三橋を見ながら、水谷、泉、栄口は自分達のエースとその捕手の関係について好き勝手に話を盛り上げた。





「な に、阿部君」
「おー、ってお前砂だらけじゃねェかよ」
「え?」 

 阿部が指差す三橋のユニホームには阿部の言うとおりさっきまでなかった砂が付いていて、動くたびにパラパラと重力に沿って落ちた。午後一番に篠岡がグラウンドに撒いた水はもう半分以上乾いていて、三橋のユニホームに付いている砂も勝手に落ちるものとそうでないものが混じっていた。

「あ、たぶん 地面に、ねてたから、だ」
 
さっき田島君に、と阿部の顔を見上げたがその表情から阿部の次の行動が読み取れず、もしかしたら怒られるかもしれないという恐怖が知らず知らずに込み上げ息が詰まる。ゴクンと思わず鳴ってしまった喉の音を阿部が変に捉えてしまってはいないかと思うと体が縮こまった。
 「はー…」と頭の上から阿部のため息が聞こえ、これはもういよいよだと覚悟を決め、これから起こるだろう事態に備え目をぎゅぅっと閉じた。

「う、…ぐ」
「ったく、こっちこいよ」

―――え?

 阿部の左手が三橋の右手を握り、くんっとひかれ体が近付いたと思ったら阿部の右手が三橋のユニホームに付いた砂を掃い始めた。阿部の右手が一定のリズムを保ったまま三橋の体に触れ、そのたびに体が小刻みに揺れる。丁寧に、やさしく、付いていた砂は地面に落とされ、目の前で起こっている光景をただただじっと見ていた。見ているしかできなかった。

「なに?」
「!う ぇ、なんでもない です…」
「?お、落ちたな。んじゃ後ろ向いて」
「!」 

 瞬時に言われるがまま阿部に背中を向け、とりあえず落ち着けと両手を胸の前でぐっと握った。波打つような心臓の音がハッキリと体中に響き、対応が間に合わない。
 だって、どう考えてもいつもの阿部ならこの三橋の行動に「周りに流されすぎなんだよ!」と睨みをきかせるぐらいはしているはず。なのに今日の阿部はどうだろう、怒るどころか砂を掃ってくれて。それに、よく見るとなんだか微かに笑っているようにも見えた。

「んだよ、ケツまで砂だらけじゃんかよ。おらっ」
「ウ、ヒ」

 ぱんっと景気のいい音で尻を叩かれたために足場が崩れ一歩前に踏み出してしまい、さっきまで保っていた阿部との距離が一気に離れてしまった。それに気づいた途端、ほかほかだった手が冷えていくのがまざまざと見てとれた。緊張していたのに手があたたかかった。

「うし、もういいぞ」
「う、お」
 
 元が汚れで汚いユニホームなだけにぱっと見、代わり映えのないように見えるがさっきまで沢山付いていた砂がすっかりなくなっていた。阿部が一つ残らずキレイに掃ってくれた。

「あ、ありが と」
「おー。そうだ、すっかり話が逸れちまったな。あのな、ランニング終わったらすぐ水分補給しろ。この暑さン中だ、すぐ脱水症状起こしちまうからな。あと」

 阿部の話に耳を傾けながらも実際は気も漫ろで、ぐるぐると思考は回っていたがどこから整理していけばいいのかがかわらず足元がゆらゆらと歪んで見えた。
 三橋にとって阿部は大抵怒っているイメージが定着しているために、こうも予想に反した態度を目の当たりにするとそれはそれでパニックになってしまうほど驚いてしまうのも無理はないのだろう。それだけ阿部の言動は三橋にとって自分の心を一喜一憂させるものとなってしまっていた。

「みはし…って、おい!聞いてんのかよッ!!」
「ひ…ッ!?」

 突然肩を掴まれ、瞬時に焦点が合った目をガバッと上げると、もう遅い、阿部が目前で睨んでいた。テンパって自分の思考に深く入ってしまったために阿部の話を半分以上聞き流してしまっていたらしい。そしてそれが阿部にバレた結果がこれだ。

「う、お オレ…」

 謝らなきゃ、そう思って口を開こうとした寸前に「集合ーーー!」という花井の号令がグラウンドに響き渡ったせいで開きかけた口は閉じ、そのままタイミングを失ってしまった。一度飲んでしまった言葉を再び外へ出す事は三橋にとって困難以外なにものでない。
 頭ではわかっているのに次の行動に移せず、定まらない視線を足元にある丸い小石に合わせ、汗が噴出すのを感じていると、「ふっ」と息を漏らし、阿部がベンチの方へと足を向けた。
 阿部が行ってしまう、今度こそ呆れて怒っている、そう思うと胸が締め付けられ、その思いが次の行動を起こさせた。

「あ、阿部君…!!」
 
 行ってしまう阿部の背中に手を伸ばしたがその手は目標を掴む事なく宙を掴み、おかげでバランスを崩した三橋の体は重力に従って地面と接触するはめになった。 
 阿部が背中越しに聞こえた音に振り向くと、そこには三橋が見事なまでに顔面からスライディングしている姿が視界いっぱいに広がる。これまで三橋が怪我をしないように神経張り巡らせて気をつけてきた。泉達に「ウザい」と言われようがとにかく三橋に全神経を集中させてきた。それなのにほんの少し目を離した隙に転ぶなんて芸当をやってのけてくれるこのエースに、怒りよりも先に笑いが込み上げ、そして勝った。

「ぶ、は…!おま、く、腹いて…!!」
「ア ベくん…?」

 スライディング時に擦り剥いたんだろう鼻の頭を押さえながら、阿部がなんで笑い転げているのかわからず、ポカンと座り込んだまま腹を抱えて蹲る阿部を見ているしかなかった。阿部の笑いはしばらく治まる事なく続き、ようやく顔を上げたかと思うと目いっぱいに溜めた涙を乱暴に指先で拭った。

「はー…、わりぃ」

 あー笑った笑った、とたいした出来事でもなかったかのようにさっさと立ち上がり、「ん、」と右手を差し出してきた。ちょうど太陽との位置関係が逆光になっている阿部を見るには眩しくて、差し出された手を掴むとぐい、と強い力でひかれ今度は阿部の胸に鼻をぶつけた。

「ちょ、おま…!狙ってやってんじゃねェだろうな!」
「ち、ちが…」
 
 今度こそ怒られる、と表情を引き攣らせる三橋を余所に、阿部はまた笑いが込み上げてきたが今度はうまく飲み込み、三橋の背中にバンッと自分のために気合を入れるかように一発平手をかました。

「おら、行くぞ!!」
「う、うん…!」

 阿部の奇怪な言動に何がなんだかわからない三橋は、縋るような思いで阿部を見た。目が合った阿部の顔は笑っていて、さらに頭の中がはてなマークでいっぱいになったけれどなぜだか満たされた気持ちにさせられたから不思議だった。阿部が笑っているとなんだか嬉しい。息が切れるくらいドキドキするけれど、それは太陽のせいなんだと三橋は頷く。
 前を走る見慣れた背中はいつも頼もしく、いつだって信頼を寄せていたけれど、今日は一段と特別なものに見えた。




(08/02.04)
三橋の阿部に対する想い

相方がイラストを描いてくれました!



あきゅろす。
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